今回リハビリでつぼみ様の絵を仕上げた。
【寄生されたものの末路】
あのつぼみはもはやつぼみではないといわれているが…これはどういうことか?
人類の更に先へと進化した存在だったつぼみ様であるが、その特殊な生態に翻弄された末路があの姿。はじめてつぼみ様を見たとき、『寄生』という単語が脳裏をよぎった。私が言いたいことを説明する上でポケモンのパラセクトを例えに用いることが有用だと判断した。(昨日の深夜、丁度ポケモン都市伝説動画を見ていた)
ポケモンのパラセクトはパラスの進化後の姿である。しかし都市伝説によるとあのパラセクトの本体は上にあるキノコが本体で下の虫の部分はキノコに寄生され冒され尽くした結果既に死んでしまっているといわれている。キノコが宿主の死体を操って虫のふりをしているというわけ。
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私の言わんとしていることがお分かりだろうか。つぼみに寄生している桜がキノコでつぼみはかつて虫だった部分であるとするならば…。つぼみは宿主として寄生され続けた結果桜にすでに乗っ取られている。つぼみはもう『吸収』されている。あの桜が本体であり、桜がつぼみの脱け殻を操っている。
であれば『夜桜つぼみを倒す』という考え方では太陽たちは問題の根本を断つことはできないでしょうね。あれはつ/ぼみのガワを被っているがつぼみじゃない。
『夜桜つぼみ』は色んな人間を養分にしてきたと語られるが厳密には違う。むしろ最初の犠牲者が夜桜つぼみさんなのです。
そう思うと単純に敵とは言いがたい哀愁を感じませんか?
【退廃美】
梶井基次郎の『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!』という仄暗い退廃美を体現した存在があの姿なのです。無償の美などあり得ぬ。美しさには代償を伴う。美しく振る舞うものは陰で誰かを踏み台にしている。誰かの血と汗であなたを楽しませる芸術が構成されている、もしそうだとしたら…?
夜桜つぼみという存在はやはり大人向けである。以下短い文章なのでこの際文学にも触れてほしい。
【ちょっと踏み込む】
桜はつぼみを宿主としてつぼみの肉体のみならず、人間としての尊厳も吸収して見事満開となっている。桜の花は狂い咲き。
奇病に冒されると人間としての尊厳が試される。まず世間一般の普通という枠から外れる。普通こそがまともな人間の証明であると考える類の人間からは後ろ指さされる。周囲ができることが自分にはできないので自分を責める。自分に生きる価値があるのか、自分の生まれてきた意味、人間としての尊厳はどこにあるのか考える。
ましてやつぼみは途中から研究対象として科学者たちから実験対象としてつまりモノとして扱われて、はまっとうな扱いを受けてこなかった。つまり精神すらも削られている。ハンセン病を思い出す。令和の子たちはハンセン病を知ってるだろうか。ハンセン病患者も肉体の苦しみと並行して強烈な差別にも苦しんだ。
こういった極限な状況の中で彼女の前に現れたのが川下である。実験する者とされる者。支配と被支配の関係の下生まれた奇妙な友情。まるで幽閉の皇子と看守のようだ。このcomplicatedな関係は確かに子どもには難しいだろうなぁ…
私も別に理解したわけではない。でも、だから、物語って楽しいんでしょ。
少しずつ絡まった糸を解いていきたい。