明日の四.怨.生誕祭について。
このブログのために創った別の垢から臨時で投稿します。
こちらでは4日と5日に分けて投稿します。
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無限にアカウントを所持している神のことですから既に転生しているかもしれないのでもう安心、さぁ鍵開けようというわけにはいきません。
ただし一か月の沈黙後、一度しれっと復帰してから数日後消すという極めて不審な動きをしたため環境全体にも彼女こそが人狼であると気づいていただけたと信じております。
小学一年生のとき「いいモノあげるからおじさんについておいで」と言われても
近づいてはいけないと習ったはずです。
タダほど怖いものはない。
タダで自分の資源を配布するという行為の背景には何かを企んでいるものです。
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昔神が降臨するまでは夜桜の社会は貧しいが平和でした。
団長のもと概ね団結していたと思います。
しかし神が来てからは神の宗教に改宗する者としない者で夜桜の社会が分断されました。神が絵という賄賂をばらまいてズブズブにし信者を増やして沼の乗っ取りを画策しました。
表面上は女神のように振る舞って回りを抱き込む一方、私のように異常にカンの良いエドワード・エルリックのようなガキには自分の手を汚さないよう裏垢から弾圧と粛清を行って反乱分子を夜桜同人の歴史から消し去ろうとしました。
こんなこと繰り返してはいけないのです。
私で最後にしないといけないのです。
夜.桜の民度が低いって?
神に支配されるまではけっこう平和で団結して幸せでした。
そのころから勝手に保存する奴はいたけどね。
しかし神が入植してきて、その資本に買収されたハイエナたちが夜.桜に群がった結果民度が一気に低下したのです。
あなたの好きな絵が誰かの生き血で染まっていたとしても自分さえ気持ちよければどうでもいいのでしょうか?
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『ライアーゲーム』という漫画作品をご存じでしょうか。
主人公の一人アキヤマさんは「人は疑うべき」と説きます。
以下引用。
~「信じる」その行為は紛れもなく高尚な事だ。
しかしね、多くの人間が『信じる』の名の下にやってる行為は実は他人を知る事の放棄。それは決して『信じる』行為ではなく「無関心」。
無関心こそ疑うよりはるかに忌々しい行為である事に多くの人間は気づいていない。多くの人は誤解しているけれど、人を疑うとはつまり、その人間を知ろうとする行為なんだ。~
神を妄信していた信者たちは神を愛していたのではなく神の資本が好きなのです。
利益を吸い取りたいだけの利己心を愛と呼び変えて正当化していたのです。
神がいなくなった瞬間、神が描いた絵の無断転載・無断使用のオンパレードと化したのが何よりの証拠。
彼らが真に神を愛していたなら、そんな違法なことしないでしょう。
人を疑うとは人を知ろうとする行為なんです。
おこぼれ狙いの媚びへつらいや妄信よりもよっぽど愛があると私は考えます。
『破滅への道は善意で敷き詰められている』