大伯父上の一人が亡くなった。
私は大伯父上とはお会いしたことないが尊敬している。
武家なところがあるんで第二次世界大戦時は長男以外七男まで全員出兵。
今回亡くなった大伯父上は海軍に徴兵されて海で戦闘になったとき、戦艦が木っ端微塵に粉砕されて板切れに捕まって大海原を漂流していたらしい。
回りの仲間は一人ひとり海の底に沈んでいく。そんな限界状況の中で味方の船に発見してもらえて戦争を生き抜いた人。
板切れに捕まってどことも分からぬ大海原を漂流していたときの大伯父上の気持ちは戦争がない時代に生まれた私には想像しえない。とにかくすごい体験だ。生きて生きて生き抜いて男性にしては長寿の90代で亡くなっている。うちの家系は何 事 も な け れ ば長寿な家系。認知症の人も聞いたことない。
一度会ってお話を聞きたかったものだ。
そういう貴重な体験をした昭和の生き残りの大和男児がまた一人減っていく。
そうして忘れ去られていくのだろう。
だから私はこのネットの片隅に大伯父上のことを書いておこうと思った。
他にも大伯父上の一人には車いすの生活になると決まった時、介護をさせたくない、人間としての尊厳を守りたいから農薬飲んで自決した方もいる。
家族が見ている中『あばよ』と一言言って農薬を呷ったらしい。そしてもう助からないだろうというところまで経過して家族は救急車を呼んだそうな。家族は見殺しにしたのではない。その大伯父上の人間としての矜持と意思を尊重したのだ。
私はその大伯父上の話を聞いて古い言い方だが『漢だな』と感じた。私は近しい親戚はだいたい嫌いだったが、こういう漢が親戚にいてくれてよかったなと思う。大伯父上の話を母から聞いて、はじめて目上の親戚を敬う心が芽生えた。
自分ももし自分の尊厳が奪われて生きることを強いられた場合、そういう決断ができる勇気を持つ人間になりたい。