贋作師は斯く語りきα

非腐のSNS難民の心のリハビリ&漫画感想絵日記(勉強優先のため一時的に単行本派)。無断転載/無断使用/トレス/画像保存/自作発言/AI学習/等禁止。Reproducing all or any part of the contents is prohibited.Don't link.Preview only.

【絵】アンデラ101話到達おめでとう🎉✨😆✨🎊

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101巻に込めた君の思い、確かに伝わった。

 


1/2 100、101話感想

 

■男の娘が代理ヒロイン?!

話の都合上ヒロインがいなくなって代理ヒロインを用意した前例を知ってるけど(※るろ剣の操)、女の子に見える男の娘をぷーこの代理にしたのは流石よしふみにーたま。アンディの隣にいていい女の子はぷーこだけなんでね(アン風原理主義。)

よしふみにーたまはやっぱりCP固定派だね。かつて某大手さんが『アンデラは多様なCPに不寛容。BL妄想しづらくて肩身が狭い…』とおっしゃっていたのだが、CPガバガバだといわゆるカップリング論争とか正妻戦争にハッテンするリスクがある。それってつらいよ(経験者は語る。)だから公式はこのCPで行きますよ!って態度を明確化しておくのは戦争回避型平和主義の表れだとおらぁ思うンだ。アンディはもう理を粉砕してでも風子を取り戻したい。神を敵に回そうと。こ れ を 究 極 の 求 愛 と 言 わ ず し て 何 と す る 。

 

(後記:ルーシーって女性名だしボクっ子の可能性も全然ある)

 

■『神なんざに祈っても』

哀しい話だが神様が超越的存在ならば我々を助けないと思う。最後人を救うのは人のみ。私たちが戦争やバトル描写のある漫画や映画をポップコーン片手に見て喜んでいるのと同様に天上界でむしろこの状況を面白がってるんじゃないですか?何の話をしてるのかって?そりゃその…。まぁ🍮でも食いながら話を聞いてくれ。

 

■アンデラは令和の『人間賛歌』

クリスチャンの佐藤優が『信じるとは信託するということだ』とどこかの本の帯で言ってた記憶がある(違ったらゴメン。)信じるって託すことなんだね。自分の持っているものを全部委ねる。私はほへ~と思ったもんだ。最期の最期は超越的な何かに自分の運命を託すということもあるだろう、しかし他者に身柄を委ねる前に、『あがいてあがいてあがききれよ!焦り喘ぎ這いずり回れ!運命に抵抗しろ!あきらめるな!』という戸塚先生の「生き抜く」ことに対する熱いメッセージを感じるんです。

私は以前からアンデラは令和の人間賛歌であると申し上げてきましたがね、歴史的に見ても神からの解放≒人間らしさの謳歌なんです。中世ヨーロッパってキリスト教の戒律でがんじがらめで禁欲的で文化的には衰退してたのですが、神の抑圧から解放されてヒューマニズムが花開いた時代があのルネッサンス

 

■『理に縛られて縮こまって生きてくくれぇなら理破って俺は死ぬ』

この言葉刺さったよ。まったく戸塚先生と私は同じ思想を共有している。

幸福な豚か、不幸なソクラテスか。主体的に生きるか、誰かに頭預けてぼーっと神の家畜のように生きるか。命はあす枯れるかもしれないと思うから、今を大切にできる。主体的に生きていないから今の人生に誇りを持てず『異世界転生』したいという思考が蔓延るのでは。人生はガチャ要素あるのは確かだが、基本一回こっきりのガチャだよ、何回も回せない。来世に期待ではなく今を生き抜け!

 

2/2トップの絵について

 

■101話は私の目標だった

戸塚先生は100話到達で喜んでいたけれど、個人的にはアンデラは101話が区切りだった。101話行ってくれたら御の字。なぜかってそりゃマンガ内マンガである君伝が101巻だから。101話記念で今回は安野雲&九能明を描いてみました。おめでとう!ここからはボーナスステージ。さぁ次はどんな世界を見せてくれるのだろう。

 

■名前不明の功労者たち

私が小学校のときに流行ったネタで『法隆寺を作ったのは誰か?』というものがある。通常はたのしい木造建築聖徳太子と答えるところだが『ハズレ!法隆寺を造ったのは大工さん!』がこの問いの正解?だった。でもこれは良い視点。

歴史ではキラキラした権力者だけが教科書に載るけど、その背後には実際に手足動かして精一杯自分の人生を戦った名前不明の功労者たちがいる。その不明な人たちは一人一人が凡人だし冴えない。でも彼ら彼女らの一つ一つの勇気と汗で今の私たちの世界が構成されている。特殊な能力を持ったチートヒーローだけが世界を動かすなんてことはない。白鳥は優雅に湖面を泳いでいるように見えて水面下では必死に足を漕いでいる。その水面下の「みっともない」部分があるから優雅な世界がある。

 

■きれいな安野雲とボロボロの九能明

以下画面左の姿を安野雲と呼び、画面右の姿を九能明と呼ぶ。

ファンアートをざっと見る限り不明として描かれているのは大概左の安野雲だ。九能明の絵は私の視界には入ってこない。皆美しくてで若くて明るいほうがいいもんな。でもさ、闇のヲタクは正直安野雲には鼻ホジだった。けれど最期に孤独に人生全てを賭けて戦った九能明というボロッボロの老人の姿が現れたときハートにキタよ、戸塚先生の『君に伝われ!』が。受け取りましたよその心。この絵描いてる最中も目頭熱くなったよ。彼が粉骨砕身して君伝を101巻まで描いたからオータム攻略できて風子は生存できた。

このボロボロな姿が彼のあがいた生(せい)の、生(なま)の姿。ボロボロな姿なのは周りに見てもらえないから見た目を取り繕う楽しみすらないんだ。誰にも見つけてもらえず死んでいくとは何たる理不尽。まさに『何のために生まれて何のために喜ぶ?分からないまま終わる…そんなのはいやだ!』不可視みたいにDQN化したっておかしくないのに、頑張っても誰からも評価されないかもしれないのに彼は戦った。戦ったらそりゃボロボロになる。でもそんなボロボロで老いぼれた彼をきれいと私は感じましたよ。

 

ナウシカが『労働をする人の手は美しい』と言っていたね。かつて学芸員実習のときふとした拍子に私がその言葉を口にしたら、一緒のチームにいた美大生がガタッと反応して私にドアップで詰め寄ってきて『そう!労働をする人の手は美しいよね!!!』と満面の笑みで歓喜したのを覚えている。彼女は労働でしわだらけになった人の手を描くのが好きなんだそうだ。そんな手を描いた個展を開く位。つまりそういう感性を持つ人もいるってことです。

 

…彼の地でも身元不明のまま戦ってボロ雑巾のように亡くなっていく人がいる。『西部戦線異常なし』ってか?でもそんな人たちの生きた事実を忘れちまったらおしまいさ。風子が言ってたじゃないか、人の死は皆の記憶から忘れられてしまうことだって。

 

歴史の背後で戦った名も無き者たちを思う無音の深夜に。

 

 

※101話って書いてたけどごめん101巻です。訂正しました。