贋作師は斯く語りきα

非腐のSNS難民の心のリハビリ&漫画感想絵日記(勉強優先のため一時的に単行本派)。無断転載/無断使用/トレス/画像保存/自作発言/AI学習/等禁止。Reproducing all or any part of the contents is prohibited.Don't link.Preview only.

【絵有】不可視はなぜDQNだったのか【ア/ン/デ/ラ考】

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↑だいぶ前にコレの原版をハガキにしてよしふみにーたま戸塚先生に送った。関係あるかわからんが単行本のおまけに再登場。

アンデラの民の前に彗星の如く現れ、ボロ雑巾のように消えた不可視ことショーン。彼がDQN だと判明したときSNSでは何とも微妙な空気が流れたのだが、なんと彼は一部の熱狂的ファンを獲得してしまった。「不可視ガールズ」と呼ばれる彼女たちを「肯定」したいので私も不可視を語ってみよう。※ワイは不可視ガールズちゃうで(震え声)



【前提】なぜ不可視はDQNだったのか?

『俺たちヲタクの嫌いなDQNだから別に死んでもいいや』

もし不可視がビビリっ子で「リップに粛清されたくない!逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ!うわあああ!僕の足動いてよ!」なタイプだったらどうなっていたであろうか?

ストーリー進行上、不可視はアンディに殺されなくてはならないのだが、その不可視がジャイアンに抑圧されるのび太みたいな憐憫を買うような性格だったら物語の重要人物たるアンディとリップどっちにもヘイトが向かってしまったことだろう。あの段階でアンディやリップにヘイトが集まるのは連載上損しかない。

ア/ン/デ/ラを読むのは基本ヲタクなのでヲタクが自己投影しがちなシンジ君タイプではなく、逆にヲタクが嫌いなDQNを犠牲者にすることにより、読者側の罪悪感を緩和させ、またアンディやリップにヘイトを向かわせない効果を期待できる。読者にショックを与えつつケアをする。ここが戸塚先生のウマい処。…しかしこのケアで私たちは完結していいのかね?



【ちょっと深掘り(尻切れトンボ感)】
『善人が犠牲者じゃなくてよかった~。「悪人」が犠牲者だから、ま、多少はね?』と終わらせてしまう我々の奥底にある「視えない(不可視)」思考に対して「それでいいのか?それで終わらせていいのか?」と問われているようにも思える。不可視が悪人だと仮定するならどういう経緯で悪人になってしまったのか思いを巡らしてみてもいいじゃないか。
SNS引退した私の元相互さんが「あの後味の悪さ、尻切れトンボ感が想像の余地を残す。だから一部熱狂的ファンがついたのでは?」と名推理していらっしゃった。あんちゃん!見とるか?わしはここにおるけぇ!尻切れトンボだから不可視はその死に至る背景に妄想考察の余地が大いに与えられているキャラクターなのである。不可視は考察漫画であるアンデラにまっことふさわしいキャラクターなのですら!




【私がなぜ不可視を憎めないのか(自虐と他虐)】
私は不可視みたいな人物はア/ン/デ/ラの世界観を青年漫画的視点で見ればでわりと「ア/ン/デ/ラらしい」キャラクターだと思っている。あのとき私はSNSにて「自虐」と「他虐」という言葉を使って不可視を説明したのでここでも試みてみよう。

人間というものは自分ではどうしようもないことで理不尽を被ったとき、自分を責める自虐行動と他者にブチ撒ける他虐行動の主に2パターンを行う。

不可視以前に登場した否定者たちは否定能力を発現したときだいたい事故って大切な誰かを殺すのだが、それは自分のせいであるという十字架を皆背負っている。ユニオンだろうとアンダーだろうと。
物語制作的観点から見れば理由は分かる。殊勝な態度じゃないと読者からキャラクターに対する「共感」を得られないからだ。正直私はワンパターンかつ、人間としての生生しさを感じないのでそこはスルーしてきた。

しかし不可視は一瞬の登場と退場でそういうマンネリ感を一蹴してしまった!不可視いやショーンのように世界に復讐してやろうという姿勢にある意味『ジャン・バルジャン』のような生々しいものを感じてしまった。
ショーンの齧るあのリンゴは謂わばジャン・バルジャンが盗んだパンであり、梶井基次郎の『檸檬』なのだ。

突然否定能力を付与されてショーンだって悲惨な経験したはずだ。自分が理不尽に略奪されても世間は自分に無関心で世界は何事もなく回る。腹は減り飯は食ってかねばならぬ。奪われるだけで黙ってられるか。世界が俺から奪うなら俺も世界から奪ってやる。

こっちのほうに正直共感してしまう自分がいる。搾取されないためには搾取する側にまわらざるをえなかった。彼なりに彼のスペックの範囲で世界と戦って生きてきたのにちょっとイキッただけで「同業者」に奴隷のように扱われ、「同業者」にボロ雑巾の如く殺される。これも一つの『レ・ミゼラブル』。ジャン・バルジャンのように人の愛を知り改心する機会も与えられず虫のように殺されてしまったのもまた『レ・ミゼラブル




【注意書き】
現実でこんなDQNに強盗されたら私だって絶対嫌です。でも物語の世界なら距離が離れているから現実と切り離して概念的に思索する訓練ができる。それが人が物語を読む理由の一つじゃないかな。


絵はけっこう昔に描いたやつだから懐かしかったなぁ。
以上、お粗末様でした。